東海道47番目の宿場町 関宿。
江戸時代から明治期にかけての町家が並びます。
今回は『伊勢茶問屋 かねき伊藤彦市商店』の伊藤ちなみさんがお客様です。
150年以上前ですね。
1865年にお茶の商いをはじめました。
問屋としても大阪や日本茶専門店に卸をしています。
伊勢茶にこだわっているというよりも、この地でずっと商いをしているので。
伊勢茶があるから、ということで、伊勢茶を扱っています。
三重県はかなり昔から生産しておりますし、宇治茶の生産地として、宇治の近隣である三重県・滋賀県どれも良いお茶を作りまして、宇治茶として昔からみなさんの奥地に入っているはずです。
それだけ品質も良く、美味しいということで、たくさん出荷されています、今でも。
二度と同じ味のお茶には出会えないというくらい、お茶には多様性があります。
作り手や生産地、加工方法や、最終的に加工するお茶屋さんによっても味が違ってきますので、本当に多彩で無限だと思います。
自分の出会いになったお茶を、そのときだけの出会いと思って楽しんでいただけたら嬉しいです。



モータースポーツのまち 鈴鹿。
2004年鈴鹿市はモータースポーツ都市宣言を行いました
今回は『NPO法人鈴鹿モータースポーツ友の会』の事務局長、中野能成さんと『鈴鹿市産業振興部』地域資源活用課の原田麗加さんがお客様です。
モータースポーツを通じての社会貢献、子供たちの健全な育成、町とモータースポーツの融合を柱にして友の会の活動が行われています。
まずは中野さんとモータースポーツの出会いからお話していただきます。
中野 私は四日市の人間なんですが、隣町にサーキットがあるということで、子どもの頃から、そこに行ってゴーカートに乗りたいというのが憧れでした。
年齢的には私はもう60歳を越えていますが、そういう時代でした。
最初にレースを見たのは1979年に行われた、第2回の8耐でした。
もうぶっとんで!
こんなことを人間ができるのかと思いました。
オートバイが8時間走って、最後に花火が上がって、とても感動的な一日を過ごしました。
何日間かぼーっとしていたくらいです。
バイクが好きだったので、あっという間に魅入っちゃいました。
原点は家にあった自転車とかスーパーカブで、子ども心に移動というか、可能性というか、自分の足以外の動力を使って遠くまで行けるというのが原点です。
ですから、レースというよりはバイクのツーリングなどで親しんできたタイプです。
当然レースも8耐含めていろいろ拝見し、それぞれの魅力を人に伝えるという立場なので、3月4月からサーキットのシーズンが始まります。
日本に鈴鹿をはじめ、いくつものサーキットがありますので、足を運んでもらえたら嬉しいですね。
原田 去年の12月1日に、鈴鹿市が市制施行80周年ということで、去年の5月に本田技研工業の鈴鹿製作所で生産された『スーパーカブ』の第1号機を、市役所のモータースポーツ振興コーナーで展示させていただきました。
スーパーカブの1号機は本田宗一郎さんから当時の鈴鹿市長だった杉本隆三さんに寄贈されたものでした。
鈴鹿市としても貴重すぎて扱うのが大変ということでお戻しをさせていただいて、普段はは栃木県のコレクションホールに展示しています。
今回はコレクションホールからお借りして、5月から9月まで、1号機を展示を行いました。
かっこいいですよね!
それが何十年前に作られたとは思えないくらい素晴らしくて...すごいとしか言いようがないです。
スーパーカブ、最近急に大流行中というか。
アニメでもスーパーカブが登場していて、とても流行っていて、スーパーカブ集めた『CAFE CUB SUZUKA』というのもあり、今、スーパーカブが熱いんです。
で、市役所で展示中にも『鈴鹿モータースポーツ友の会』さんが毎週日曜日に『サンデー・ナビ』ということで、見学に来られた方にカブの解説などをしてもらいました。
初めて見た方も解説があると、なるほどな、となりますよね。
私もあまり詳しくないですが、『友の会』さんがそういう普及啓発もしてくださっていると思います。


伊賀市上野桑町。
細い路地を曲がると『北川牛乳店』の赤い屋根が見えてきます。
創業は今から115年以上も前。
初代が数頭の乳牛と店を買い取り、牛乳店を継いだのが始まりです。
今日は四代目の北川裕之さんがお客様。
昔ながらの製法を守り続けておいしい牛乳を作っています。
1907年、明治40年創業です。
僕がはじめたときで、ちょうど100年くらい。
僕は四代目なので、ひいおじいちゃんがはじめました。
墨がついた土器はもう機械化が進んでして、処理場になっていました。
じいちゃんのときはまだ家に牛がいて、世話を手伝っていました。
僕が継いだのが2000年です。
ちゃんとっていうか、なんとなくっていう感じでしたね。
遠くの会社でサラリーマンをしていたのですが、父が身体を悪くしたために、そのタイミングで帰ってきました。
それから牛乳屋をやっています。
就職するときも、親父は何も継げとは言わず、就職しておき、という感じでした。
しかし親父が倒れたとき、母から帰ってきてほしいと頼まれました。
僕としてはそこまで考えていませんでしたけどね。
5年ほど前から、妻と2人でジェラードの販売も始めました。
牛乳を使ってお菓子を出せたら良いな、と思って。
手間暇かけて作られた牛乳がたっぷりと使われています。
空いた時間しか開けられないので、毎週日曜日だけのオープンですが、おかげさまで、みなさんに喜んでもらっています。
もともと、イベントで妻が、うちの牛乳を業者さんに持ち込んでジェラートを作ってもらって。
そのあと、自分たちで作り始めました。
口コミでだんだん人気が出てきてきた感じです。
僕は言われたことをやっているだけで、メニューは妻が考案した内容で作っています。
牛乳屋さんなので、おかげさまで牛乳はたくさんあります。
普通だとふんだんに使うことがコスト的に難しいと思いますが、幸いうちは材料には困らないので、その分、味の濃いお菓子ができるのが強みですね。
牛乳は材料の中でも一番高いので、ウチはいっぱいあるのが助かります。
低温殺菌の牛乳は本当に美味しいので、みなさんに飲んでいただきたいですね!


